粗忽
2006年 03月 19日
「なにがやにやら。もうお手上げです」
「無事なの? よかった」
キーボードを雨だれレベルでぽちぽち叩きながら、ジャックはうめく。画面上には基地内の状況が表示されている。ほとんどの文字が赤字で表示されていて制御不能の文字が躍りくるっている。一足先にお手上げ状態になったマルガリータは、ジャックに席を譲って、後ろから唇をとがらせて画面を見ていた。
<そっちは、無事か>
スピーカーから、男の声。部屋は飛び出していったが、基地からは飛び出していかなかったらしい。声色も、落ち着いている。ひとまずの安心。けれどこの雪の城を来たばかりの人間が一人でほっつき歩いていては、冗談ではなく凍死しかねない。
「無事ですわ。って、ちょっと冬司はん、なん……」
<ならいい>
ぷつりとスピーカーが沈黙する。スイッチを切られた。
「ならいいってなんやの。人のハナシ最後まできかな」
「すごい。ねえ、見て。OJのプログラムと正面からやりあってる」
頭を抱えたジャックの後ろから、マルガリータが画面を指さした。赤字で表示されていた侵入者監視プログラムの状態が、青字に戻っている。別のウィンドウではめまぐるしい速度で新しいプログラムが組まれていく。冬司の仕業に間違いない。
「百人力というんは、本当でしたんですな」
「あー だから基地の配置人数減らされちゃったんだね」
感心してつぶやいた言葉に答えたマルガリータも同じような口調だった。はは、とジャックは苦笑いする。理由は決してそれだけではないだろうが。今は口に出す必要はない。脇下の鞘にしまってあった銃を抜くと、キーボードの脇に置く。
「この調子なら隔壁があがるのも時間の問題でしょう。ちょっと、迎えに行ってきますわ」
「あ、私も行く」
「だめです。マルガリータはんは部屋におってください。冬司はんと入れ違いになるかもしれんし。なんかあったら、これで、ちゃんと身ぃ守りなはれ」
不満そうな顔をするマルガリータに、ほな、と手を振るとジャックは部屋を出た。
* * *
顔が、むずむずする。皮膚が突っ張るような、皮一枚下に油を塗られたような、むずがゆさだ。痛いような、かゆいような、その感覚がはっきりと強くはならず、それが大変にもどかしい。
冬司は左手を顔に当てる。なにか、ふわりとした、人の肌ではない感触に、うっすらと目を開ける。
「あ、ジャック、起きたみたい」
基地の天井はどこも同じような物だと思っていたが微妙に違うらしい。なにしろ、と見えた壁とは反対へと首を傾ける。ストーブと、ポットからあがる湯気と。それから、少女。
「まったく。この寒空にコート脱いで部屋に立てこもったりして。正気の沙汰とは思えへん」
とがめるような、口調が聞こえる。ストーブの前に屈んで暖をとっている男が、かちかちと奥歯を鳴らしていた。
「今回は軽度の凍傷で済みましたけど、あんまり無茶ばっかりしたらあきまへんで」
なにやらぶつぶつと小言らしきことを言っている。自分の身が持たないとか、なんとか。自分への小言なのだろう、冬司はぼんやりとそう思う。なにか、しでかしたのか。顔に乗せていた手をついて身を起こす。長いすに横になっていた。最初に二人にあった部屋だ。温かい。
「ジャックは寒がりなの」
少女がくすりと笑った。自分の右手を取りながら。いやちがう。薬を塗っているのだ。気が付いて左手を見ると、ぐるぐるに包帯で巻かれている。
「元に戻るから心配ないって」
「……先ほどの」
言いかけて、口をつぐむ。
はっきりと思い出す。目の前の少女に誰だと言ったことも。基地内をさんざん走り回った上、どんな異常事態だったのか隔壁が閉まり、手術室まがいの部屋に入り込んだことも。
ああ、と少女は頷いた。
「着任早々面倒をかけてごめんなさい。OJの置きみやげの「これは大変A級難度の異常事態対応演習プログラム」、間違えて起動させちゃって」
「演習プログラム……?」
あっけらかんとした調子に、危うく聞き逃すところだった。砂糖と塩を間違えちゃった、とか、そんな様子だった。ストーブの前から怨みがましい声が聞こえてくる。
「間違えてっていうか、半分故意でしたでしょうが」
「だってもらったのに使わなかったらもったいないかと思って」
「ワタシとあなたと二人しかいないのにどうして演習せなあかんのですか。いいですか。マルガリータはんはもうちょっと慎重に行動せなあきまへんよ」
「で、でも二人しかいなくても襲撃されることもあるかも」
「あってもワタシはこれ以上サムイ思いはしたないんです!」
「……マルガリータ、とは」
延々と続きそうな気配の言い合いに、言葉を割り込ませてみる。無視されるかと思ったが、存外二人とも言い合いをやめて冬司を見た。
「マルガリータは私です。彼はジャック。あなたを含めてたった三人ですけど、この基地を預かる同志です」
そう言ってマルガリータはにっこりと笑った。冬司の右手に薬を塗りながら、さながら握手のようだと、冬司は思った。
「無事なの? よかった」
キーボードを雨だれレベルでぽちぽち叩きながら、ジャックはうめく。画面上には基地内の状況が表示されている。ほとんどの文字が赤字で表示されていて制御不能の文字が躍りくるっている。一足先にお手上げ状態になったマルガリータは、ジャックに席を譲って、後ろから唇をとがらせて画面を見ていた。
<そっちは、無事か>
スピーカーから、男の声。部屋は飛び出していったが、基地からは飛び出していかなかったらしい。声色も、落ち着いている。ひとまずの安心。けれどこの雪の城を来たばかりの人間が一人でほっつき歩いていては、冗談ではなく凍死しかねない。
「無事ですわ。って、ちょっと冬司はん、なん……」
<ならいい>
ぷつりとスピーカーが沈黙する。スイッチを切られた。
「ならいいってなんやの。人のハナシ最後まできかな」
「すごい。ねえ、見て。OJのプログラムと正面からやりあってる」
頭を抱えたジャックの後ろから、マルガリータが画面を指さした。赤字で表示されていた侵入者監視プログラムの状態が、青字に戻っている。別のウィンドウではめまぐるしい速度で新しいプログラムが組まれていく。冬司の仕業に間違いない。
「百人力というんは、本当でしたんですな」
「あー だから基地の配置人数減らされちゃったんだね」
感心してつぶやいた言葉に答えたマルガリータも同じような口調だった。はは、とジャックは苦笑いする。理由は決してそれだけではないだろうが。今は口に出す必要はない。脇下の鞘にしまってあった銃を抜くと、キーボードの脇に置く。
「この調子なら隔壁があがるのも時間の問題でしょう。ちょっと、迎えに行ってきますわ」
「あ、私も行く」
「だめです。マルガリータはんは部屋におってください。冬司はんと入れ違いになるかもしれんし。なんかあったら、これで、ちゃんと身ぃ守りなはれ」
不満そうな顔をするマルガリータに、ほな、と手を振るとジャックは部屋を出た。
* * *
顔が、むずむずする。皮膚が突っ張るような、皮一枚下に油を塗られたような、むずがゆさだ。痛いような、かゆいような、その感覚がはっきりと強くはならず、それが大変にもどかしい。
冬司は左手を顔に当てる。なにか、ふわりとした、人の肌ではない感触に、うっすらと目を開ける。
「あ、ジャック、起きたみたい」
基地の天井はどこも同じような物だと思っていたが微妙に違うらしい。なにしろ、と見えた壁とは反対へと首を傾ける。ストーブと、ポットからあがる湯気と。それから、少女。
「まったく。この寒空にコート脱いで部屋に立てこもったりして。正気の沙汰とは思えへん」
とがめるような、口調が聞こえる。ストーブの前に屈んで暖をとっている男が、かちかちと奥歯を鳴らしていた。
「今回は軽度の凍傷で済みましたけど、あんまり無茶ばっかりしたらあきまへんで」
なにやらぶつぶつと小言らしきことを言っている。自分の身が持たないとか、なんとか。自分への小言なのだろう、冬司はぼんやりとそう思う。なにか、しでかしたのか。顔に乗せていた手をついて身を起こす。長いすに横になっていた。最初に二人にあった部屋だ。温かい。
「ジャックは寒がりなの」
少女がくすりと笑った。自分の右手を取りながら。いやちがう。薬を塗っているのだ。気が付いて左手を見ると、ぐるぐるに包帯で巻かれている。
「元に戻るから心配ないって」
「……先ほどの」
言いかけて、口をつぐむ。
はっきりと思い出す。目の前の少女に誰だと言ったことも。基地内をさんざん走り回った上、どんな異常事態だったのか隔壁が閉まり、手術室まがいの部屋に入り込んだことも。
ああ、と少女は頷いた。
「着任早々面倒をかけてごめんなさい。OJの置きみやげの「これは大変A級難度の異常事態対応演習プログラム」、間違えて起動させちゃって」
「演習プログラム……?」
あっけらかんとした調子に、危うく聞き逃すところだった。砂糖と塩を間違えちゃった、とか、そんな様子だった。ストーブの前から怨みがましい声が聞こえてくる。
「間違えてっていうか、半分故意でしたでしょうが」
「だってもらったのに使わなかったらもったいないかと思って」
「ワタシとあなたと二人しかいないのにどうして演習せなあかんのですか。いいですか。マルガリータはんはもうちょっと慎重に行動せなあきまへんよ」
「で、でも二人しかいなくても襲撃されることもあるかも」
「あってもワタシはこれ以上サムイ思いはしたないんです!」
「……マルガリータ、とは」
延々と続きそうな気配の言い合いに、言葉を割り込ませてみる。無視されるかと思ったが、存外二人とも言い合いをやめて冬司を見た。
「マルガリータは私です。彼はジャック。あなたを含めてたった三人ですけど、この基地を預かる同志です」
そう言ってマルガリータはにっこりと笑った。冬司の右手に薬を塗りながら、さながら握手のようだと、冬司は思った。
by plasebo55
| 2006-03-19 21:37
| オリジナル小説