咎人の片恋
2006年 07月 07日
織姫星と夏彦星は天の川を挟んで右左。
だが、一年にたった一度、天帝に会うことを許された。
「いいのう。たった一度でも会えるのじゃからな」
縁側から足だけ投げ出して寝転がって、沓杷は空を眺めていた。あの口うるさい黒猫が見たら「だらしがない」とまたくどくど言われるところだが、今は春枇と出かけていて留守である。
屋敷の中はひどく静かで、鳥の声も風の音もよく聞こえた。晴れて遮るもののない日の光は沓杷の身に降り続け、降り積もるような感覚に、このままいれば自分の体が光に埋もれて消えてしまうような感覚に陥る。
七月七日は七夕だ。人の小僧どもはやれ字がうまくなりますようにだのと短冊を書いて笹につるして、町はいつもより少しだけ華やかだ。春枇も柚をつれて楽しくやっているだろう。いや、楽しんでいるのは柚のほうかもしれない。薬を見る目は自分の方が優れていると言い張るのが、もはや春枇について行くための建前であるのは沓杷もわかっていた。
もっと素直に言ったらよいのにな。
誰も取りはしないのに、と笑うと、口からはため息のような声が漏れて、沓杷は眉を上げた。
「変な気分じゃ。腹が減った」
空腹、とは少し違う気がする。ではなにか、と問われれば、けれど沓杷は腹が減ったのだとしか答えられない。ほかの言葉が思い当たらない。
空腹ならば食べれば収まるだろう。人を食うのは春枇に禁止されているが、物の怪でも、人の食べ物でも、量さえ食べれば飢えは収まる。この変な気分も収まるだろう。けれど、なぜだか食べたいという欲求がわかないのだ。
無理にでも食べた方がいい。沓杷は空を眺めながらぼんやりと思う。この状態が長く続くのは、よくないのだ。物の怪であるこの身は食慾という欲にとらわれて近づくものを傷つける。無意識のうちに大切な者を失ってしまう。
それは駄目だ。あんな思いは一度すれば十分で、つりが来る。
沓杷は眉根を寄せ、目を閉じた。頭の中から追い出すつもりが、思い出はかえって鮮明になってしまった。自分のせいで梅治を失ったと知ったときの、わずかな困惑と、圧倒的な後悔と、自分に対する憤りと失望と。そしていくら願っても何をしても梅治は戻ってこないのだという現実と。
着物の袷をぎゅっと握りしめる。急に胸が苦しくなる。
「今更こんな思いをしたところで、梅治に会えるわけでもないのに」
死んだ者ととこの世に残された者を隔てるのは三途の川だ。
年に一度も会うことはない。
たった一言を伝える手段もない。
「儂はのう、梅治──」
この一言を伝えることは、永劫に叶わない。
だが、一年にたった一度、天帝に会うことを許された。
「いいのう。たった一度でも会えるのじゃからな」
縁側から足だけ投げ出して寝転がって、沓杷は空を眺めていた。あの口うるさい黒猫が見たら「だらしがない」とまたくどくど言われるところだが、今は春枇と出かけていて留守である。
屋敷の中はひどく静かで、鳥の声も風の音もよく聞こえた。晴れて遮るもののない日の光は沓杷の身に降り続け、降り積もるような感覚に、このままいれば自分の体が光に埋もれて消えてしまうような感覚に陥る。
七月七日は七夕だ。人の小僧どもはやれ字がうまくなりますようにだのと短冊を書いて笹につるして、町はいつもより少しだけ華やかだ。春枇も柚をつれて楽しくやっているだろう。いや、楽しんでいるのは柚のほうかもしれない。薬を見る目は自分の方が優れていると言い張るのが、もはや春枇について行くための建前であるのは沓杷もわかっていた。
もっと素直に言ったらよいのにな。
誰も取りはしないのに、と笑うと、口からはため息のような声が漏れて、沓杷は眉を上げた。
「変な気分じゃ。腹が減った」
空腹、とは少し違う気がする。ではなにか、と問われれば、けれど沓杷は腹が減ったのだとしか答えられない。ほかの言葉が思い当たらない。
空腹ならば食べれば収まるだろう。人を食うのは春枇に禁止されているが、物の怪でも、人の食べ物でも、量さえ食べれば飢えは収まる。この変な気分も収まるだろう。けれど、なぜだか食べたいという欲求がわかないのだ。
無理にでも食べた方がいい。沓杷は空を眺めながらぼんやりと思う。この状態が長く続くのは、よくないのだ。物の怪であるこの身は食慾という欲にとらわれて近づくものを傷つける。無意識のうちに大切な者を失ってしまう。
それは駄目だ。あんな思いは一度すれば十分で、つりが来る。
沓杷は眉根を寄せ、目を閉じた。頭の中から追い出すつもりが、思い出はかえって鮮明になってしまった。自分のせいで梅治を失ったと知ったときの、わずかな困惑と、圧倒的な後悔と、自分に対する憤りと失望と。そしていくら願っても何をしても梅治は戻ってこないのだという現実と。
着物の袷をぎゅっと握りしめる。急に胸が苦しくなる。
「今更こんな思いをしたところで、梅治に会えるわけでもないのに」
死んだ者ととこの世に残された者を隔てるのは三途の川だ。
年に一度も会うことはない。
たった一言を伝える手段もない。
「儂はのう、梅治──」
この一言を伝えることは、永劫に叶わない。
by plasebo55
| 2006-07-07 23:33
| オリジナル小説