今日もどこかで空想中。小説と戯れ言の居場所。


by plasebo55
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カテゴリ:オリジナル小説( 83 )

500

「このままでは、皆、死ぬよ?」

 剣が、重い。
 
 リヒテルはよろけながら立ち上がると、両手で大剣を構えた。師の剣は、驚くほど重く、構えるだけで腕が震える。

「君が守ろうとしている者も、君が助けようとしている者も」

 肩で息をしながら男を睨む。
 銀に輝く短髪。緋色の外套につけられているのは騎士団長の位を示す徽章。後ろにいる団員達に、決して埋もれることのない存在感。なんども石畳に転がされたせいで肘も膝も擦り傷だらけな自分に対して、目の前の男は、涼しい顔をして外套の裾すら汚さない。

「その裏切り者の散りざまを見てなお、私に刃を向ける君を、見上げた根性だなどと褒めたりはしないよ。せめて、扱える剣を手にしたらどうかな。例えば、その男の体に刺さっている私の剣ならば、君でもかろうじて扱えるだろう」

 リヒテルの後ろには、胸に細身の剣を突き立てられた師と、その体に泣いてすがる少女がいる。師のその姿は決闘の末だ、少女を守ろうとして、けれど敗れた。師の意志を酌むのならば、少女を連れて逃げるべきだ、頭ではわかっているが。

「嫌だ」

 師の剣の柄を握り直す。
 騎士団長はゆるりと息を吐き出す。

「使えもしない剣で私から二人を守れると思っているなら、君はとても愚か者だ。君は死を恐れていないかもしれないが、死を恐れないから戦いに勝てる訳ではない」

 死を恐れない。そんなわけはない。
 今だって、大剣の重さ以外の理由で膝が震えている。
 けれど今、師匠の体から剣を抜けば、師は必ず死ぬだろう。

「嫌だ」

 それに。というより。

 憧れだから。

「助けたくはないのかね」

 騎士団長の手袋をはめた手が、掌を上にして脇に控える騎士に出される。その手に乗せられるのは、やはり細身の剣。その鞘を払い、確かめるように剣を振る。

「助け、たい」
「ならばその剣を抜きたまえ」

 今構える大剣は、騎士団長のように素振りすることもできない。悪くすれば、剣の勢いにつまずいて転び、斬りかかる前から男の前に跪く事になる。リヒテルは奥歯を噛みしめる。

「嫌だ」

 奥歯を噛みしめ、剣を構える。意識だけで、横たわる師を見る。そう、今この剣を捨てられるくらいなら、もっと前に捨てられたはずだ。師に幾度も拒絶された、その時に。

「愚か者」

 息を吸って、吐く。死ぬのは嫌だし、二人を助けたいとも思う。そのくせ大剣を扱う技量も体格もないというのに、この剣は捨てられない。なんて強欲なのだろう自分は。リヒテルは柄を握りしめる。
 もう一度、息を吸って、吐く。深呼吸しても心臓の音は早くなるだけだ。やるしかない、先程の師と同じように。やるしかないのだし、やりたいのだ、この大剣で。
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by plasebo55 | 2010-04-12 18:05 | オリジナル小説
 それは日課になりつつあった。

「まったく。あの人は王様やってる自覚あるのかな」

 がらんとした部屋の入り口で、男はため息をついた。

 *  *  *
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by plasebo55 | 2010-02-19 21:33 | オリジナル小説

エール⑥

 剣を、構える。

「おや、まだやる気ですか」

 騎士団長は、よろけながら立ち上がる少年にわずかばかり驚いたように目を開いたが、すぐに呆れたように息を吐いた。

「君が私の相手にならないことは、いくら何でもわかるでしょう。振るえもしない借り物の剣で……ほら、剣先が揺れている」

 借り物の剣、師匠の大剣だ。持ち主の手で振るわれているときには、重さなど感じさせなかったというのに。こうして持ってみると、剣が鋼の固まりで在ることを実感する。苦労して振り上げたら、後ろにたたらを踏むし、振り下ろして相手に避けられれば、地面にぶつかるまで剣を止められない。先程だって、相手に転がされたというよりも、剣の重さに振り回されて転んだようなものだ。

「せめて扱える剣にしたらどうですか。そこの、私の剣ならば、あなたでも扱えるでしょう。体裁を気にしていたら、守れる者も守れませんよ」

 そこの、と騎士団長が視線を向けるのは、少年の後ろ。地面に横たわる師匠の胸を貫く、細身の剣。師匠の傍らには、動かぬ体にすがって泣きじゃくる少女の姿もある。
 少年は、唇を引き結ぶと、大剣の柄を両手で握り直す。 

「守るために剣を手にするのでしょう。そのままでは、守ろうとする人も、助けたいと思っている人も、あなた自身の命も、失うことになりますよ?」

「嫌だ!」

 叫ぶ。
 わかっている。師匠の剣が自分にはとうてい扱いきれる物ではないことも。騎士団長の言うことが、どれほど正論かも。師匠に刺さる剣を抜けば、師匠の命は助からないだろうが、少女の命は守れるかもしれない。けれど。

「俺が憧れたんだ。あの人に」

 だから、他の剣を手に取って戦うことなんて、考えない。

「たいした我が儘ですね。見上げた精神力、などとは言いませんよ」

 騎士団長が、脇に控えていた騎士に手をだす。手に乗せられた他人の剣の、鞘を払い、構えた。

「あなたの決断がどういう意味を持つのか、その身をもって知りなさい」
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by plasebo55 | 2009-12-31 16:23 | オリジナル小説
「魔術助手に、かい?」

 子供の申し出に、俺は、ふむ、と顎を撫でる。
 目の前の子供は「お願い」と言っておきながら、ずいぶんと厳しい視線を向けてくる。生半な理由では、諦めないだろう、そういう目だ。
 俺は内心困った、と再度顎を撫でて、視線を天井に逃がした。見慣れた天井に、あ、焦げ目が、などとつぶやいたりして、言葉を整理する時間を稼ぐ。

「魔術助手は魔術師になるより大変だと思うけどねえ」

 ちらりと視線をやる。と、子供は視線を険しくしてきた。
 諦めろ、と言われたように感じたのだろう。そういうつもりはないけれど、実際、力を行使する魔術師になるよりも、力を引き出す魔術助手の方が、難関な職業だ。それに、魔術助手は、そもそも「魔力」が見えなければ──それは持って生まれる能力で、努力して身に付くものではない──なることはできない。子供の、天分の問題。

「それに俺は魔術師であって魔術助手じゃないから、教えられるほど詳しくはないし」

 同じ魔力を扱う職業であっても、その性質はまるで違うものだ。
 魔術師であっても、その技術がそのまま魔術助手の技術に生かされることはない。教える、俺の能力の問題。

 それに。

「魔術助手になりたいのは、君の父上のため、かな」

 ぎゅ、と子供の拳が握りしめられた。なんとわかりやすい肯定だろう、俺はため息をついてかぶりを振った。

 子供の父親は、あの大火事の日に命を落とした。火事のせいではない。刀傷を無数に残した遺体は、右手を切り落とされていた。何かを握りしめて離さなかったのだろう、それを、火をつけた犯人が切り落として腕ごと持ち去った。そう、近衛隊は見解を出した。

 伏せていたわけではないが、子供は、どこかでその話を聞いたのだろう。もしかしたら、父親の研究していた内容についても聞いたのかもしれない。
 いずれ、折を見て話すつもりではあったが。そこまで考えて、そうか、と腑に落ちる。子供の厳しい視線は、そもそも俺に向けられているのだ。父親の死を隠した、と。それは多分、善意、悪意にかかわらず、負の感情を呼ぶものなのだろう。

 いずれにせよ、父親が殺された理由がその持ち去られた何かだとすれば、子供がそれを知りたいと思うのは自然なことかもしれない。知るために、父親と同じ職業を目指そうと思うことも。

「そういう理由は、俺はあんまり好きじゃないんだけど」

 ぽり、と頭を掻く。

「でも、まあ、君がどうしてもっていうなら。というかどうせ何を言ったって聞きはしないだろうしね、いいよ、好きにするといい」

 子供は、何を言っても折れる気配を見せないだろう、そう、思えた。いや、そう感じられるのは、俺自身も本当は反対ではないからだ、と考えてみる。俺が、子供の父親の死の真相をしりたいと思っているからだ、と。

 いやそもそももっと単純に。

 先に考えたことを、直感的に否定して、子供にも自分にも向けて、小さく頷く。

「ただし、俺の言うことは守ってもらうからね」

 息子とは、父親の背中を追うものなのだろう、と。偉大であるとか誇りであるとかは無関係に、いずれ越えていく存在として、父親があるのだ。目の前の子供は、きっと父親が生きていても魔術助手を目指したにちがいない、そういうことだろう。

 唇を引き結んだまま、子供が勢いよく頷いたので、俺は言った。

「返事は、はい、ね。それから俺のことは先生と呼びなさいよ」
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by plasebo55 | 2009-09-18 23:52 | オリジナル小説
 何故泣くのかよくわからなかった。

 俺は、燃えさかる炎に包まれたあのときでさえ、ひとかけらの恐怖も感じなかった。なのに腕の中に抱きしめた子供は、大きな声で泣き出し、それで俺は足を止めた。リビングの中央。研究室からの炎が激しい。黒い煙が流れ込んでくる。
 早く建物からでないと、炎より煙に巻き込まれかねない。頭ではわかっていた。けれど、あのときは子供への興味が勝っていた。泣き声は、炎が建物を焼き尽くす音に負けまいとするようだった。

 応援でもするつもりなのか、無責任に。
 それともいよいよ迫る炎への恐怖で。
 早く出ようとせかしているのか。

 まさか助かるとわかったわけではないだろう。俺は、死ぬ気はなかったし、こうして死なずにいるけれど、それは子供にはわからないことのはずだ。

 泣く子供がよく煙りで噎せ込まないものだと、感心して、今更身を低くする。研究室以外は木造の建物、火の回りが早い。建材の水分が膨張して破裂と共に火が噴き出す。観葉植物が爆風で倒れ込んだ。

 テーブルの上のランプが熱で破裂する。そろそろ、出ないと危ない。

 炎でつつまれた四方を見る。玄関は駄目だ。研究室に近い上に、廊下の向こうはどうなっているのかわからない。
 空間転移するか。思いついて、すぐに却下する。研究室に蓄えてあった、魔力結晶が砕けて、濃い密度の魔力が空間に立ちこめている。空間転移は魔力を制御しきれないかもしれない。俺ひとりなら、それでもいいが。腕の中の子供は、魔術を制御する基礎さえしらない。魔術が暴走したら、助けられない。魔術は駄目だ。自分の足で外へ。

 外へ。
 体が動く。

 炎の向こうに見えた窓へ、飛び込む。
 ガラスの破片。
 爆発音。

 背中から石畳の上に落ちる。呼吸が詰まる。

 子供は、まだ泣いていた。
 俺はのろのろと立ち上がって、子供を抱き直す。

「もう、大丈夫だ」

 聞こえた言葉が自分の声で、驚いた。




「それが、あの子を引き取りたいという理由のつもりかね」
「なりませんか」

 向かい合う老人は、ふうむ、と髭をなでつけ思案するそぶりをみせた。いや、困惑しているのかもしれない。少なくとも、自分の立場で望んだものが手に入らないことなどないのだ。結論は、出ているはずだ。

「理由を説明しろと言ったつもりだが、君は経緯を伝えただけではないのかね?」

 そうだろうか。

「まあいい。ただし、定期的に視察させてもらうことにするが、いいかね」
「ええ、もちろん」

 老人は、大きく息を吐いた。

「心配だよ。君が親代わりをするなどと。いろいろと、心配だ、夜も眠れん」
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by plasebo55 | 2008-02-05 12:41 | オリジナル小説
 その部屋は、想像よりも人の気配に満ちていた。
 こぢんまりとした部屋の真ん中には白いテーブル。天板は白。その上に薄い水色のマットが敷かれて、花が飾られている。よく手入れされた床には、重いものを落としたようなへこみやささやかなひっかき傷が見て取れる。ぎっしりと詰められた本棚に比べて、食器棚の中は閑散としていた。

「意外か?」

 ガラスのカップを僕の前に置きながら、女性が問う。僕よりわずかに年上の彼女は、けれど大人と呼ぶには若すぎる。涼しげな目元や、頭の上へまとめていた髪をほどいて頭を振る仕草などは、大人びてはいたけれど。

「いいえ、それほどでも」

 長い髪は癖一つ付かない。彼女は僕の前に座るとわずかに唇に笑みを乗せた。

「私には、君が一人で来ることこそ、意外だが」

「そ、そうですか」

 置かれたカップに手を伸ばす。液体の色はよどんだ赤紫色だが、においは柑橘系で肺がすっとする。どんな味がするかためらううちに、彼女は同じガラスのカップに、何食わぬ顔をして口を付けていた。

「ようやく錬金術に興味を持った、ということか」
「あ、ええと、それは」

「冗談だ」

 僕が返答に困っているうちに、彼女が言葉を取り下げた。しかし冗談という言葉はもう少し感情を伴う言葉じゃないんだろうか。からかうなり、あると思うけど、彼女はまじめな顔をしたまま言う。

「何が理由にせよ、会いに来てくれたことは嬉しく思う。今日君が来たのは運が良かった。昨日までなら術中で手が離せなかったから」
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by plasebo55 | 2007-02-02 23:45 | オリジナル小説
 彼女の口を手でふさいでクローゼットの中に隠れる。腕の中で暴れる彼女は、しかし男が口元に指をやってしー、と合図を送ると静かになった。静かになった彼女に男がにっこりと笑ってうなずく。ほとんど光のない状態なのに、それは、わかった。

「どういうことでしょうね」

 足音の、遠のく気配。クローゼットの外が静かになる。まだ彼らは宿の探索を続けるだろうが、家捜しをできる身分では無いらしく、入り口から中を覗く程度だった。

 僕が男を見ると、男も控えめにうなった。

「錬金術ギルドの連中のようだったけどね」

 白地に紺の四角を連ねたような幾何学模様の帯、ギルドに所属している錬金術師の特徴だ。

「またなにかちょっかいをかけたんですか?」
「ひどいな。そんな、いつも悪さしているみたいに言うと誤解が生じるよ」

 言った男の視線が、僕の抱いている少女の上で止まる。
 なにが誤解だ。こういうの、好きなくせに。

 彼女の口をふさいでいた手を放す。彼女はふは、と息をついで、頭を振った。広がった髪の毛が僕の胸あたりを叩く。

「あなたのせいじゃなければ誰のせいなんですか」

 言いながら、ふと、この少女のせいかもしれないと思いつく。結局、少女の親探しを引き受けたが、身振り手振りを交えて意思疎通すること半日、判明したのは彼女が人間ではないことだった。今はスカーフで隠れていて、まるで十歳ほどの女の子だが、彼女の首の後ろには山羊の耳のような羽が生えていた。エルフ、という妖精だ。言葉が通じないのも当然だ。

「それがわかっていれば、もう少しうまく立ち回れたと思うけどね」

 僕の思いなどそっちのけで、男は気軽に肩をすくめてみせた。

「どちらにしても錬金術ギルドに狙われているというのは、少しやっかいだなあ。どうにか理由でもわかれば、打つ手もあるかもしれないけど」
「近づいたら捕まってしまいそうですけどね」

 ギルドに追われる理由がわかれば、というのは的はずれではないと思うけれど。ギルドに近づくのは危険だ。まして、彼女を連れては行けない。かもネギのようなものだし、いざ逃げるとなったときにも足手まといだし。
 せめてギルドに近づかずに錬金術師を捕まえられれば。

「……そうか」

 僕の脳裏にある人物が浮かび上がる。感情を映さない瞳で、気をつけろ、と言った彼女。
 あの人なら、力になってくれるかもしれない。錬金術ギルドに所属しない錬金術師。しかもどの錬金術師よりも強欲に吸収した知識と技術を持つ人物。


 
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by plasebo55 | 2007-01-29 21:43 | オリジナル小説

後日

「なんや、知らんかったんか」

 隠さずに意外そうな顔をされて、ツィクルスは鼻の頭にしわを寄せた。ついでに唇もとがらせる。ジャックはその顔を見て笑うと、ひらと顔の前で手を振った。

「まあ、そんな顔せんで。サンタクロースいうんは、クリスマスにあわせて雪山から下りてくる御仁のことや」
「クリスマスに?」
「そうや。七人おる。みんな冬のスポーツの達人でな、温泉好きなんや」

「……それ、担いでない?」

 ツィクルスが半眼になると、ジャックはそれでもまじめな顔をして、ないない、とまた顔の前で手を振る。

「それでな、クリスマスの晩には子供にプレゼントを配って歩くんや」
「ふうん。それでいい子にしてなさいねって言うわけだ」
「そうや。なんや、知ってるんやないの」

 まあね、と口にしたツィクルスはもうサンタクロースには興味が無くなったようだ。父親のことを思い出したのだろう。 ジャックもツィクルスと彼の父親とのことは大まかながら聞いていた。父親としての人格の疑わしい人らしかった。
 当然、ツィクルスにクリスマスなどというものを教えたりもしなかったのだろう。いい子にしていなさいなどというお題目めいた言葉は、彼にとっては鼻紙より価値がないに違いない。

「ほれ、手ぇ出し」
「なんだよ」
「ええから」

 渋々、手を出すツィクルスの手を上向けさせて、ジャックはポケットから小さな紙包みを取り出し、手の上にのせた。

「なに、これ」
「クリスマスプレゼントや」

「……なんで?」

「ツィクルスは夜更かしばっかりして。本当はな、昨日のうちに枕元にでも置いとこ思ったんやけどな」

 ツィクルスはきょとんとして、手の上の紙包みを見つめている。わずかに不審そうな顔、眉間に力が入っているのがわかる。
 ジャックは少年の頭を乱暴にかき回した。

「よい子にプレゼント。ワタシ、実はサンタクロースなのです」
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by plasebo55 | 2006-12-26 21:52 | オリジナル小説

前日

 そぞろに歩く彼女の後ろを、流割はのんびりとついて行く。買い物に行きたいと言い出したマルガリータの、付き添いだ。声をかけられたとき、その場にはたまたま彼しかいなかった。
 マルガリータは機嫌良さそうだった。地下マーケットをこれだけ無邪気に楽しんで歩く人間は、たぶん彼女の他にいないだろう。
 マーケットの人間は客には誠意を持っている。だから客であれば安全である。それは正論だ。けれど、マーケット全体の客になる、というのはどだい無理な話だ。彼らの商売理論は地上にあるどのマーケットとも一線を画している。だから、買い物をした客も、骨までしゃぶられる、というのももちろんあることだし、実際多く見られた。

 結局、なるべく多くの店の客になるしかないわけだ。流割はそう結論づける。

「ねえ、迷子になっちゃうよ?」

 雑踏のなか、マルガリータの声が足音に紛れている。人が多いのは年の瀬だからだろうか。彼女の姿が見えなくて、流割は立ちつくした。

 ここでマルガリータとはぐれたとしよう。自分は基地に戻ることはできる。マルガリータも大丈夫だろう。けれど、彼女とはぐれたことが基地のメンバーに知られたら、マーケットで身ぐるみはがされるよりひどいことになりかねない。
 流割からすれば、メンバーはマルガリータに対して少し過保護に見えた。彼女を守ることが己の身を守ることである、という理屈は流割にも納得がいった。しかし、彼女は何もできないお嬢様という訳ではない。基地をひとつ預けられるほどの実力者なのだ。
 まあ、彼女の外見のせいもあるだろうけど。感情が、護衛する、というより、守ってあげる、になってしまうのは、わからないでもないが。自分がそう結論づけたとしても、メンバーの仕打ちは変わらないだろう。わずかに悪寒。背筋がぞくりとする。

「わっ」
「わあ」

 あはは、と笑い声が続く。背後から抱きついてきた、マルガリータの声。

「驚いた?」
「え、ああ。うん。驚いた。いろいろ」
「いろいろ?」
「ああ、いや、たくさん、かな」

 すごく、かも。と、胸を押さえて流割がつぶやくとマルガリータはまたけらけらと笑って、体を離した。代わりに右手を差し出してくる。

「迷子になりそうだね」

 その手を見つめ、言葉の意味を考える。これは「人が多くてはぐれそう」というのではなくて「流割、迷子にならないでね」ということだ。まるで目上の者の発言だと思い、そういえば地位は彼女の方が上だったと思いついて、流割は苦笑する。あんまり深く考えない方がいいのだろう。左手で彼女の手を握る。


  *  *  *


 ドルチェは基地の会議室のドアを開けたところで立ち止まった。無人だと思っていたところに、人がいたからだ。
 よりによってスコッチが、自分の机に足を乗せ、椅子の背もたれをめいっぱい倒して眠っていた。ジャケットの襟を立てて、そこに顔を半分埋めている。
 スコッチを見かけること自体、珍しいことだった。最近では女と一緒に部屋に閉じこもっていることも少なくなったが、こうやってメンバーが集まる場所にいることは、多くなかった。

「WS、ねえ、マルガリータ見なかった?」

 なにか心境の変化でもあったのかしらね、と、ドルチェは思うが、それは問わなかった。独り言のつもりで口を開く。
 スコッチは無言のまま、組んでいた腕をほどいて流割の机を指さす。やはりと言うべきか、起こしてしまったようだ。自動ドアでは遠慮してそっと開けるなどということはできないが、謝るべきか悩んで、悩んでいるうちにタイミングを逸してしまった。ドルチェは流割の机へと歩み寄る。

 机には、メモスタンドにウサギの形をしたメモが挟まっている。買い物に行ってきます。と、マルガリータの想像よりは標準の字で書いてあった。

「また!? ちょっと、どうして止めてくれなかったのよ」
「……俺がいたら、書き置きなんかするかよ」
「だって、またよ? 昨日だって私と行ったし。先週だってジャックと地下マーケットに」
「俺もおとといつきあったぞ」
「なんでよ」

 なんで、というのもおかしなものだが。つまり、みんなを一度ずつ買い物に誘っているのだろう。そんなに買う物があるのか。それとも地下マーケットに行きたいだけなのか。

 苦悩しているドルチェを、スコッチは一別してため息をついた。

「流割と一緒だ、心配ない」
「そういうことじゃないわよ」

 女というのは、時にひどく面倒な生き物だ。それだけは十分に知っているスコッチだったから、よけいな口は挟まず、寝たふりに戻った。
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by plasebo55 | 2006-12-24 23:42 | オリジナル小説

蜜柑

 このまま放っておいたら冷凍みかんになりそうだ。
 ドルチェはソファの上で膝を抱えて、テーブルの上に乗っているみかんを見つめた。みかんは、入れられた紙袋が横倒しになっていて、二個ばかり、テーブルの上に転がり出ている。

 そしてもう一つ、皮をむかれた食べかけのみかん。

 向かいには、その冷え切ったみかんを食べ続ける男がいる。流割。彼はずっと新聞に目を通しながら、時折みかんを口に運んでいる。
 新聞に、みかん。
 冬司やジャックなら、コーヒーだろう。自分だって、みかんは選ばない。
 それも、暖房ひとついれず、氷点下の室内で。

 ドルチェはめいっぱいの厚着をしている。セーターに、ジャケットに、コート。マフラー、手袋、帽子。それに比べ、流割はセーターと、マフラーのみ。手袋をしていたが、みかんを食べるのに邪魔だったのだろう、はずしてテーブルの上に置いてある。

 寒くないのかしらね。

 サムイ、といえばジャックの口癖だが、口にしないだけでみんな寒いと思っているのだ。だけれどこの男のどこを見ても、寒いと思っている様子はない。

 ぱらり、と新聞をめくる音。

 ドルチェはみかんに手を伸ばす。やはり手袋をしたままではみかんはひどく食べづらくて、仕方なく片方だけ手袋を外す。空気に直に触れた手は、ひり、と何とも言えない違和感を手の皮に与えてくる。骨がきしむような冷えで、指はひどく動かしにくい。

「流割」

「……うん?」

 みかんの皮をむく。すぐに薄くちぎれてしまうそれをどうにかむいて、房を口に入れる。しゃり、とわずかに水分の凍った感触。

「冷凍みかん好きなの?」

「……いや。なんで?」

 ドルチェはわずかに顔をしかめた。味は、甘いが。体の芯から凍りそうだ。
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by plasebo55 | 2006-12-22 00:00 | オリジナル小説