今日もどこかで空想中。小説と戯れ言の居場所。


by plasebo55
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カテゴリ:リクエスト小説( 25 )

着底

暇つぶしのウナギ御飯。さま。歪真。


 ──俺は、お前を、救わなければならないからな。

 なにを言っているのかわからない。耳がどうかしてしまったように。水に中に居る時みたいにくぐもって聞こえる。

 ──師匠や皆を切り殺した糞ッたれの鬼を!

 視界はすべて残像を引きながら動く。わずかな動きでさえもったりとして、目の前に跪く男が叫んでいるのか、口元が大きく乱れる。
 ああ、動かないでくれ。目が回る。それでいて、体は深く深く沈んでいく感覚。どこまで沈んだのだろう、僕は確か大通りに立っていたはずなのに。

 男は叫び続けている。
 聞き取れない。聞き取れないことが、すまないことのように思える。内容はわからないが、必死な音。

 ──挙句人の身体をぶんどりやがった貴様をぶっ殺してやる!

「何だと……?」

「おっと、動揺しやがったな」

 男は口元に笑みを浮かべた。力関係は、変わっていない。男は相変わらず刀の刃を逃がさぬよう、腕に力を込めている。ただ、鬼が不愉快そうに眉尻を上げただけだ。

「お前のことだから、楽しくやり合った相手は忘れねえだろうよ」
「屍に価値など無い」

「いいや」

 拮抗していた刀がじわりと押し戻される。せいぜい刃一枚分の動きだが、鬼は手のひらに汗がにじむのを意識する。

「お前は忘れられないんだ、あのときの仕合を。だから、お前と渡り合える相手が現れたときだけ、表に出てくる。他はその少年に任せて、楽しめるときにだけ現れるのさ」

 ──あのときの仕合は。

 こぽり、と、水の中に泡が立つ音。沈む僕の脇を通り過ぎ、上へ上へと揺れていく空気の泡。

 ──俺は、違う、約束を。

 約束? 聞き取れたのは、短い単語ばかりだ。けれど、ふと、心が動く。

 あのときだ、落雷の夜に。師を失ったあのときに。この声を聞いたのだ。
 
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by plasebo55 | 2007-09-03 16:29 | リクエスト小説

攻と防と

暇つぶしのウナギ御飯。さまより剣舞。

 死ぬだとか。殺されるだとか。

 鬼は考えたことなどなかった。
 殺すということさえ、重要ではなかった。

 自分に向けられる憎悪の視線が。
 向けられる刃の鋭さが。
 痛みが。血の香りが。

「あっはっは。さあやろう『俺の敵』 あのときと同じように」

 自分を駆動させる。

 男が動く、その始まり、無事な右腕の筋肉が盛り上がるのが見える。さながらうごめく臓腑のように、ぐにゅりと、内に潜む赤色の筋肉が見えた気がして、鬼は目を細めた。

 息を吐く、一瞬だ。男が距離を詰めてくるのは。雨水を跳ね上げ、大剣が迫る。
 突きだ。

 自分の言葉に応えた訳ではないだろうに。鬼は口元をゆがめる、笑み。わずかに身をひねり、かわす。刃の水滴を切る様が、ゆっくりと脇を通り過ぎる。拳一つは入らないだろう、ぎりぎりに避ける。

 大剣は止まらない、突きの軌道を曲げて、鬼を追う。鬼は、かわすために引いた右足で地面を蹴り、跳ぶ、前へ。

 男の剣は攻防一体。それは桁はずれた格闘センス、読みと、大剣の重量をものともしない筋力のなせる技だ。大きく避ければ、防御に十分な時間を与えてしまう。

 故に、最小で避けて、同時に攻撃する。
 わずかに振り上げた刀で、右の手を狙う。

 狙ったはずの右手が消える。考えるまでもない、男が柄から手を離したのだ。

 これが防なら、ここからつながる攻は?

 鬼は反射的に刀から手を離す。同時に左手に激痛。甲に、男の右拳。
 骨は折れたか? けれど、刀はとばされなかった。良い読みだ。ぞくぞくする。

 鬼はかまわず踏み込んだ、左足を軸にして蹴りを放つ。血を流す男の左腕へ、外側から、肘へ。

「がっ」

 男の軋る奥歯の向こうから、わずかに声が漏れる。
 人間には急所も関節もある。石を力任せに割るのとは違うのだ。

 鬼は、笑った。

「まだ、終わりじゃないだろう? 『俺の敵』」
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by plasebo55 | 2007-08-16 23:20 | リクエスト小説

距離。(僕小説)

暇つぶしのウナギご飯。さま俺の敵。

 剣を抜いた男は、姿以上に大きく見えた。以前、対峙したときよりも。距離は5メートルほどか。雨脚が強くなって視界が悪いが、剣を構える男の姿ははっきりと見えて、圧倒的な圧力がある。

 あのときは、なんで刃をを交えることになったんだっけ?

 シャオエンは、ふわふわとわき上がってくる自分の記憶を意識する。戦いの最中だというのに、ひどく現実離れした感覚だ。過去に思いをはせるのは、すべてを一人でこなさなければならない一対一の戦闘で、命取りになりかねない。
 刀がうまく握れていないような感触、鋼でできているはずのそれが、酷く軽い。

 体がゆらゆらと、頼りなく揺れている。けれど、気づけば、それは体の呼吸だ。
 体の呼吸よりわずかに早いリズムで、刀が揺れる。切っ先が定まらないわけではない、これは刀の呼吸。

 本当は、「あの方」へ託されたはずの、刀の呼吸。

 自分自身の呼吸も聞こえる、五月蠅いくらいだ。自分の心臓の音、脳に響いてがんがんする。あの方って誰だっけ。そう思う自分の声が、耳鳴りで遠くに聞こえる。

 不用意に、一歩足を踏み出した。あ、あぶない、と自分で思う。自分のことなのに、まるで他人を見ているみたいに。

 男の反応は早かった。シャオエンの足が地面につくよりも速く、一歩を踏み出している。上段から大剣が振り下ろされる。雨を切り裂いて。

 シャオエンはわずか左に身をよじるように、剣の軌道から体を逃がす。大きく逃げれば攻撃にはつながらない。あれだけ大きな剣を振り下ろせば、二撃目までには時間がかかる。そこを、突く。

 しかし、不用意とはいえこちらが先に踏み出したのに、後れをとるとは、どんなスピードだ? 驚愕を抱えながら、振り下ろされる大剣を視線で追う、自分の右脇を、大剣が通り過ぎる。

 否。

 ばかな。その驚きは先程を軽々と超えた。
 大剣は、振り下ろされなかった。

 止まった?

 大剣は、シャオエンめがけて振り下ろされ、しかし地面にめり込まず腰ほどの高さでひたりと静止し、引かれた。

 どれだけの膂力。シャオエンは驚愕しつつも、さらに踏み込んだ、引かれる剣と同じ早さで、男の懐に飛び込むと、中段で構えた刀を突き出した。
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by plasebo55 | 2007-08-05 21:28 | リクエスト小説

雨音とともに。

暇つぶしのウナギ御飯さま再会。


 ああ、なんて声を出すんだ──

「なあに? 契約主が現れたら教えろって言ったの、君のほうよ。まあ、ちょっと順序が逆になっちゃったけど」

 そう、そのとおり。
 おまえ自身が言ったことだ。
 確かに自分から探し出したようなものだけど。
 それでも契約違反というほどではないだろう?

 なのに、なんて顔をしている。
 なのに、なんて声を出す。

 おまえはまるで置き去りにされた子供のような。
 おまえはまるで恋人の裏切りにあったような。

「ああ、これでお役ご免ね。清々した。あなたの依頼は二度と受けないわ」
「噂に名高い紬のヴェルガが、そんな柔なこと言うとは思わなかったぜ」

 あの女は『俺の敵』だ。
 愛しくて、愛しくて、今すぐにでもこの手にかけたい。
 またあの一瞬を、高揚を、歓喜を、充足を。
 契約など無ければ今すぐにでも手に入れられるのに。

 まさか、理由など問うまいな?

「冗談。あの契約金でも安いくらいよ。あんたも気をつけなさい」
「忠告ありがとよ」

 まさか、想像しなかったなんて言わないだろう。

「さあ、やろうか。剣を抜けよ」

 さあ、やろうじゃないか。刀を抜け。

少しだけ、ヴェルガ。
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by plasebo55 | 2007-04-13 22:36 | リクエスト小説

真夜中の散歩の代価

暇つぶしのウナギご飯さま眠り。より。

 と、いって寝られるわけもなし。

 がばと起きあがってシャオエンはベッドの上をにらむ。本当に寝たのか寝たふりなのか、ヴェルガは静かなものだ。いくらとげとげしい視線を向けても起きる気配はない。

 まったく、なんてことしてくれるんだ。

 悔しいことに、まだ心臓がどきどきする。シャオエンは乱暴に頭を掻くと、ソファから足をおろした。刀をとる。白虎の模様の入ったそれ。いつから自分の物だったろう。あのときだ、師を失ったときに。燃える家から着の身着のまま逃げ出したときに持っていたのが、この刀。

 僕はなにか、彼と約束したような気がする。

 なにを約束したのか、かすんだ記憶は目をこらしても見えてこなかった。シャオエンは深々とため息をつく。再度ヴェルガへと視線を向けて、舌打ちすると部屋を出た。


 降り続く雨が服にしみこんで体温を奪っていくが、嫌な気分にはならなかった。あのまま部屋にいるより、断然精神的に良い。シャオエンは宿を出ると気の向くままに町を歩く。雨であり、すでに夜半という時間ということもあり、人通りはない。雨具を持たないシャオエンは、気楽な様子だった。人の奇異の目にさらされなくていい。

 夜とはいえ、町中は真の闇にはほど遠い。窓に明かりが点っていなくても、そこにはぬくもりのような明るさがある。これがきっと人のすむ気配なのだろうと、シャオエンは左右の建物に視線を向けながら通りを歩く。すでに水たまりができはじめている。時にはばしゃと靴が音を立てて水たまりに沈んだ。

「よう、こんな夜に散歩なんざ、関心しねえな。辻斬りと間違えられちまうぜ」

 耳で聞くより体の反応は早かった。振り向くと同時に、抜刀している。

「まあ、おまえさんの場合、あながち間違いというわけじゃあ、ねえけどな」

 だろう? と、気安く声を上げて、闇の中から男が姿を現した。

「おいおい、気が早ぇな」

 むしろ嬉しそうな声を上げて、男。大きな男だった。男も雨具を持っていなかった。かわりに、背中に大きな剣を背負っている。大柄な男の体格を差し引くと、大木ほどもあるかもしれない。シャオエンにはとうてい振り回せる代物ではない。それ以前に。
 シャオエンの目が驚愕に見開かれる。

「……あんた、は」
「よお、久しぶりだな」

 大男は気軽な様子で挨拶してきた。あのときの男だとシャオエンは刀の柄を握り直す。自分を負かし、45点だと言い捨てていった、あの男だ。
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by plasebo55 | 2007-01-22 21:15 | リクエスト小説

悪夢よりもなお

暇つぶしのウナギご飯さま張り付くもの。より。


 砕け散った。
 粉々に。


 金属をこするような高い音が余韻を残して消えていく。

「──たの? シャオエン?」

 瞬きをする。

 誰もいなかった。
 窓の外の景色、黒い空は変わらなかったが、闇はなく、細い霧のような雨が窓から吹き込んでいる。

 荒々しさはないが、冷たい雨だ。

「シャオエン、ちょっと!」

 視界の隅に黒い影が入り込み、少年の背はびくりと震えた。

「なにやっているのよ! 気でもふれたの!?」

 右の手首を掴まれる。シャオエンはその手を払いのけて大きく飛び退いた。
 振った右腕をそのまま振り下ろす。斜め上から下へ。右足は前へ、踏み込んだ姿勢。

 違和感に、また瞬きする。

 右手を見る。刀が、ない。
 今刀を向けたつもりの相手を見直す。それは怪訝な、と、心配そうな、とをまぜこぜにしたような表情の女だった。

「どうして立ったまま夢なんか見るのかしらね、君は」
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by plasebo55 | 2006-12-03 21:15 | リクエスト小説

それの、存在理由。

暇つぶしのウナギご飯さま:雷光の照らすもの。より。


 無かったことになどできないのだ。
 どんなに忘れたふりをしていても、俺は、覚えている。

続きます。
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by plasebo55 | 2006-11-13 00:20 | リクエスト小説

帰り道

 暇つぶしのウナギご飯さま重い雨。より。


「これは」

 手渡された物を軽く振ってみる。結構な重さだ。

「塩の固まりですか?」

 僕が聞くと、それまで神妙に話をしていた老婆が声を上げて笑い出した。

「おまえ、本当にあの方に育てられたのかい?」
「あの方?」

 ふと思い浮かぶのは師匠のことだけど。師匠は「あの方」なんて上等なもんじゃない。
 目の前の老婆が投げやりに手を振る。

「とにかくおまえはそれを持って帰ればよいのだ。いいか、それはおまえにやるんじゃないんだ。決してあけたりするんじゃないよ」

 そんなこと言われたら、あけないわけないと思うけど。

「あの、塩は?」

 僕は念のためもう一度聞いてみる。老婆の、フードの奥に見え隠れする目が一瞬見開かれて、それから彼女は笑い出した。やっぱり。


 帰り道、戻っているつもり。
 けれど時間はずっと流れていて。
 同じ道を戻っていても
 同じ場所には帰れなくなった。


 右手には傘。左手には布に包まれた長細いなにかと、塩の入った袋。老婆は、僕が店を出る間際になって塩をくれた。僕にだと、断って。袋の中には拳に握れるほどの大きさの塩の固まりがいくつか入っていて、ひとつ舐めてみると、確かに塩の味がした。

 ようするに。と、僕は起こったことを整理してみる。雨は粒の大きさを増して、傘を叩く音がうるさい。足下はひどくぬかるんで、気を抜くと派手に転んでしまいそうだ。

 ようするに、師匠が言ったのは方便で、実際は塩は切らしていなくて、この長細い何かを取りに行かせたかったのだ。
 はっきりとそう言えばいいのに。なんだかのけ者にされたときのような、そんな気分。包みを開けて中身を見てやろうか、そんな気分にもなる。けど、中を見てしまえばもっと面倒なことになる、そんな予感がある。少なくとも師匠にさらなる面倒ごとを押しつけられるのは目に見えている、罰だとか言って。冗談じゃない。

 それと、老婆の言葉だ。「王に届けろ」だって。王だって? やはり浮かぶのはうちのくそじじいだが、あれがそんな上等なものなわけがない。国を治める王様が、こんな森の奥に閉じこもっているわけがない。今だってお城にいて、大臣たちと国のことをあれこれ考えているはずだ。見たこと無いけど。
 師匠なら、せいぜい下っ端大臣のそのお使いってところだろう。それならどうにか話はとおる。

 まあどちらにしても、師匠に預かり物を渡せば、僕の仕事はおしまいだ。裏事情は、必要があれば師匠は話すだろうし、隠す気になったらてこでも動かないだろう。どっちでもいい。僕の欲しい物ではないのだし。
 僕は玄関を開けた。

「ただいまもどりまし……た」

 玄関で立ち止まる。

 玄関は、ひどく汚れていた。泥が靴の形に何足分も、廊下を進んで奥の部屋へと向かっている。

 僕は思わず片足をあげて靴の裏を見て、その足を床に押しつけた。わずかに小さな泥の靴あとができあがる。

 泥の乾き具合、あまり時間はたっていない。そろっと延ばした指先に触れる泥は、まだ十分に湿り気を帯びていて、泥の薄い部分だけがわずかに白くなっている。

 どういうことだ、これは。
 まるで、強盗でも入ったみたいだ。

「師匠……?」

 名前を呼ぶのに、声を潜めている自分がいる。
 そっと足音を立てないように床を踏む。

 自分より大きな足跡を持つ人間が、複数、たった少し前に、この家に入り込んだ。
 間違いなかった。師匠のいたずらか訓練か、そう思おうとしたが、できなかった。
 口が渇く。胸が締め付けられて、呼吸ができなくて、胸が苦しくて、心臓が痛くなる。

 何が目的で?

 この家に強盗されるほどの金があるだろうか? 否。
 この家に強盗されるほどの品があるだろうか? 否。

 じゃあ、なぜだ。

 靴あとをたどる。足跡は入り乱れていたが、確実に奥へと進んでいく。
 僕も、それに続く。廊下を曲がって、さらに奥へ。

 そこは、一番師匠が師匠らしいことをする部屋だった。
 文字を教え、法律を教え、計算を教え、生きていくために必要なこともそうでないこともすべて、この部屋で教わった。
 板張りの、広い部屋だった。

 そこへの扉は、だらりと、わずかに開けられたままになっていた。
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by plasebo55 | 2006-11-05 16:25 | リクエスト小説

雨脚

暇つぶしのウナギご飯。さま:姿見。より。


 彼に別の算段があったのか、それともつまり気が向いただけだったのか、それは今となってはわからない。僕はそのとき知ろうともしなかったし、もし聞いたとしても彼は教えてくれなかっただろう。僕は今更あのときのことを思い返し、少し残念に思い、けれど後悔はしていなかった。

 しとしと、と。

 この時期の雨は、ただ降り落ちる雨だ。傘をさしてまっすぐ立っていれば濡れることはない。けれどこのまま突っ立っているわけにはいかない。湿り気を帯びた冷たい空気に肌を撫でられてあのときの僕は身震いする。早く用事を済ませて夕食にしよう。シチューでも作って暖まるのがいい。

 うっそうとした森、雨も木々の延ばす枝葉に遮られて勢いを弱めていた。所々大粒の雨だれが落ちて土にしみこんでいく。街へとつながる道とも呼べない道はすでにぬかるんで歩きにくそうだった。
 僕は一歩を踏み出そうとして、ふと、後ろを振り返った。いくらか木々に覆われた小屋が見える。見慣れた我が家は、まるで森の擬態をしているようだった。離れていけば森の景色にとけ込んで二度と見つけられなくなる、そんな予感を覚える。

 今まで何度だって帰ってきているのに。ばかげてる、こんなことを思うのは。

 早く用事を済ませて帰ってこよう。ぐいと一歩、足を出す。街までは距離はあるが、僕の足ならそう時間はかからない。だんだんと急ぎ足になって、僕は街を目指す。えっと、師匠は、何を買って来いって言ったんだっけ。

 ぱり、と頭の中で何かがはじけた。その瞬間だけ頭の中が真っ白になる。

 そうそう、塩を切らしたのだった。塩だけでいいのかな、と思う。帰ってからやっぱりこれも足りなかったから買ってこいと言われるかもしれない。以前には豚肉が食べたいと言って買いに行かされて、帰ってきたら開口一番ショウガが足りなかったと言われたこともある。

 まあいいや。そのときは改めて丁重にお断りすればいいのだし。

 そのお断りがあまり通じないことも、まあ、わかってはいたけれど。

 師という人は何でも心得ていて、たぶん、僕を上手にこき使う方法も心得ているのだろう。僕の使い方も、料理の仕方も、狩りの仕方も、時計の直し方も、格闘の仕方も、なんでも心得ている。

 ぱしん、と。

 頭に何かをぶつけられたような。一瞬頭が真っ白になる。痛みは感じないし、手でこめかみを触っても何ともなっていない。耳はちゃんと雨音をとらえているし、足もちゃんと街に向かって歩くのを繰り返している。なにも体に異常はない。

 何を考えていたんだっけ。

 軽く、頭を振る。そう、街までなにか買いに行くんだった。そうそう、塩だ。街まで行って、肉屋の隣の塩を買う。それから帰ったら夕食にするのだった。

 街に着くと、雨は粒の大きさを増して、重く傘を叩いていた。傘を握る手に力が入る。その手がわずかに震えていることを自覚する。なぜ震えているのかという疑問には、答えられないけれど。たぶん寒さのせいだろうと思う。思っていた。まとわりつく湿気が髪も衣服も重く湿らせて、自分がずいぶんとゆっくり動いているような気がした。

 ここかな?

 二軒先の肉屋の隣、師匠の言った建物はおおよそ食べ物を売る場所には見えなかった。
 調味料でさえ扱っているようには見えなかった。

 雨の街の中でその建物は、ひときわ静まりかえっていて、けれど確かな人の気配があって、まるで息を詰めて立っている生き物のようだった。申し訳程度に看板がつけられていて、でも文字はかすれて読めないし、目の前にある扉は出入り口であるはずなのにかたくなに閉じられている。扉の前に立つと、しげしげとそれを眺めた。

 本当にここで間違いないのかな?

 ドアノブには「CLOSED」と札が掛けられていた。
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by plasebo55 | 2006-10-19 23:30 | リクエスト小説

私信返し

暇つぶしのウナギご飯の高宮さまより私信をいただいたのだけれど、とっても長いお返事になりそうな予感がしたのでコメントではなくこちらにしてみました。

隠す意味などないのだが……
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by plasebo55 | 2006-08-23 00:29 | リクエスト小説