鯖みそ煮
2006年 10月 17日
気がついたら海の中で、啓介は、そういえば自分は魚だったのだと思った。たぶん鯖だろう、自分の姿は見えないが。平然とえら呼吸する自分はたくさんの鯖と群れて泳いでいた。鯖しかいない静かな海を疑問に思うと、目の前の鯖がぽよんとおもちゃのような音を立てて鯖のみそ煮になった。驚いて周りを見回すと、視線を向けた先から、ぽよんぽよんとつぎつぎに鯖はみそ煮に調理されていく。
俺も鯖みそにされる、と思って身を翻すと、そこは海の中なんかじゃなかった。
目を開けると青い海は遠ざかって手の届かないところで青空になっていた。白い雲がちぎれて浮かんでいて、それはけっして日の光を遮らない薄い雲で。夢を見ていたのだと安堵してまぶたを下ろしかけた、その視界の上の方におでこを出した女の顔。
「り、梨香?」
今度こそ飛び起きる。
確か、三限目をさぼって屋上に出てきたはずだ。いつの間にか眠ってしまったようだが、考えなければいけないことがたくさんありすぎて、授業など受けている気分ではなかったのだ。記憶のない三日間のこともだが、おおむね、梨香とのことで。
経験上、怒った彼女とは、まず話がかみ合わない。
どうやって怒りを静めて、どうやって事情を話し、どうやって謝るのか。
ひとしきり考える時間は欲しかったのに。
梨香は啓介と同じベンチに座って少し驚いたのか目をぱちくりとさせて啓介を見ていた。水色の小さなお弁当箱を膝の上にのせて、フォークに刺した卵焼きを口元に運ぶ途中で止まっている。というか、なぜ梨香がここにいる? 大地の話では自分は約束をすっぽかして、彼女はひどく怒っているはずだ。
「ちょっとまて、今日何日だ」
また、記憶がないのか? 知らないうちに仲直りしたのか? 片手で顔を覆って考える。それとも三日も記憶がないということが夢なのか?
梨香はフォークをおくと、ベンチに座り直した。一人で慌てている啓介にむけて、ひどく冷ややかに告げる。
「24日です」
ぎくりと体をこわばらせて、啓介はそろっと手を下ろした。そこにある表情はあまり変わらないが、いつもはぱっちりと開いている瞳が少しすがめられて険のある光をたたえている。梨香が怒っているのは明白だ。現実はそう都合よくはいかないようだ。
「啓介さん。昨日は」
「悪い。昨日は、その──」
「怪我はしませんでしたか?」
「──記憶が。え?」
先手必勝で謝ってしまえと勢い込んで口を開いた啓介の言葉がとぎれた。まじまじと梨香を見下ろすが、彼女は至極まじめな様子で。じっと見ていると、わずかに揺れる瞳に心配されているのだろうかと、妙な胸の高鳴りさえ覚えて。
けれど。昨日は約束をすっぽかして会わなかったのではなかったのか。なんで怪我の心配をされるのだろうか。どういうことか、聞き返したい。けれど、それで墓穴を掘るわけにはいかない。啓介はわずかにかぶりを振った。
「怪我、してない」
「そうですか」
そっけない、梨香の態度。短く言うと、食べかけだった卵焼きを食べる作業に戻っていった。
「あの、梨香?」
「やけ食いですから」
ぴしゃりと言う。気がつけば、彼女の小さな体の影に、コンビニの袋が。サンドイッチやら菓子パンやらプリンやらが盛りだくさんで入っているのが見える。
「心配して損しました。結局啓介さんは私との約束すっかり忘れていただけなんですね」
俺も鯖みそにされる、と思って身を翻すと、そこは海の中なんかじゃなかった。
目を開けると青い海は遠ざかって手の届かないところで青空になっていた。白い雲がちぎれて浮かんでいて、それはけっして日の光を遮らない薄い雲で。夢を見ていたのだと安堵してまぶたを下ろしかけた、その視界の上の方におでこを出した女の顔。
「り、梨香?」
今度こそ飛び起きる。
確か、三限目をさぼって屋上に出てきたはずだ。いつの間にか眠ってしまったようだが、考えなければいけないことがたくさんありすぎて、授業など受けている気分ではなかったのだ。記憶のない三日間のこともだが、おおむね、梨香とのことで。
経験上、怒った彼女とは、まず話がかみ合わない。
どうやって怒りを静めて、どうやって事情を話し、どうやって謝るのか。
ひとしきり考える時間は欲しかったのに。
梨香は啓介と同じベンチに座って少し驚いたのか目をぱちくりとさせて啓介を見ていた。水色の小さなお弁当箱を膝の上にのせて、フォークに刺した卵焼きを口元に運ぶ途中で止まっている。というか、なぜ梨香がここにいる? 大地の話では自分は約束をすっぽかして、彼女はひどく怒っているはずだ。
「ちょっとまて、今日何日だ」
また、記憶がないのか? 知らないうちに仲直りしたのか? 片手で顔を覆って考える。それとも三日も記憶がないということが夢なのか?
梨香はフォークをおくと、ベンチに座り直した。一人で慌てている啓介にむけて、ひどく冷ややかに告げる。
「24日です」
ぎくりと体をこわばらせて、啓介はそろっと手を下ろした。そこにある表情はあまり変わらないが、いつもはぱっちりと開いている瞳が少しすがめられて険のある光をたたえている。梨香が怒っているのは明白だ。現実はそう都合よくはいかないようだ。
「啓介さん。昨日は」
「悪い。昨日は、その──」
「怪我はしませんでしたか?」
「──記憶が。え?」
先手必勝で謝ってしまえと勢い込んで口を開いた啓介の言葉がとぎれた。まじまじと梨香を見下ろすが、彼女は至極まじめな様子で。じっと見ていると、わずかに揺れる瞳に心配されているのだろうかと、妙な胸の高鳴りさえ覚えて。
けれど。昨日は約束をすっぽかして会わなかったのではなかったのか。なんで怪我の心配をされるのだろうか。どういうことか、聞き返したい。けれど、それで墓穴を掘るわけにはいかない。啓介はわずかにかぶりを振った。
「怪我、してない」
「そうですか」
そっけない、梨香の態度。短く言うと、食べかけだった卵焼きを食べる作業に戻っていった。
「あの、梨香?」
「やけ食いですから」
ぴしゃりと言う。気がつけば、彼女の小さな体の影に、コンビニの袋が。サンドイッチやら菓子パンやらプリンやらが盛りだくさんで入っているのが見える。
「心配して損しました。結局啓介さんは私との約束すっかり忘れていただけなんですね」
by plasebo55
| 2006-10-17 23:43
| オリジナル小説